ゆりかごから墓場まで - 神仏が共にあった日本

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ゆりかごから墓場まで - 神仏が共にあった日本

かつて、日本の町や村では、神社とお寺が一つの敷地にあることはごく普通の光景でした。
神宮寺と呼ばれたり、お寺の境内に神社があるのも、当たり前。
そこには、神も仏も一緒にという、いわば日本人らしいおおらかさと、暮らしの知恵があったのです。

けれど明治になって、思惑の中で神仏分離令が出されると、すべてが変わってしまいました。
それまで共に手を合わせてきた神と仏が、制度によって無理やり切り離されてしまったのです。

歴史を振り返ると、大きな変革のときには、象徴的なものが壊されることが少なくありません。
日本の場合、その矛先は活力を持っていた仏教や、武士の精神にも向けられました。
江戸時代までの支配層の価値観が解体され、大衆が新しい時代へと開かれていったのです。
外からの力や時代のうねりが、日本人の心に大きな変化を与えたことも確かでしょう。
まるで、日本人の魂が試されるような時代だったのです。

それでも仏教は、いつの時代も、私たちの、生老病死のすべてに寄り添ってきました。
子が生まれればお寺に報告に行き、学業や仕事の祈願も仏さまに手を合わせ、
亡くなれば、その人の魂を送り出し、弔い、そしてまた子どもへとつないでいく。
そうして、日本人は仏教を通じて、「生きる」ことを学んできたのです。

それは、信仰とか宗教というより、もっと暮らしの一部でした。
迷ったとき、困ったとき、病に苦しむとき、老いを感じるとき、
仏さまの前に座るだけで、心が整うという人も少なくありません。

昔の人にとって、お寺や神社は、心のよりどころであり、地域の中心でした。
春には桜を眺めて集い、夏には盆踊りで先祖を偲び、秋には収穫を感謝し、冬には除夜の鐘を響かせて新しい年を迎える。
そのすべてに、神と仏が共にいて、村や町を丸ごと支えていたのです。

しかし今、そのつながりは薄れつつあります。
寺は敷居が高いと言われ、神社と仏教の違いすら知らない人も増えてきました。
けれど私は思います。
たとえ時代がどれほど進んでも、日本人の奥底には、仏教が育んだやわらかな感性が息づいていると。

自然を敬い、人を思いやり、争いを避け、静けさを大切にする心。
それはすべて、仏教から学び、暮らしの中で自然と育まれてきたものです。
現代人の多くは意識していなくても、例えば「いただきます」と手を合わせるとき、
あるいは満月の夜に、ふと立ち止まって空を見上げるとき、
その奥には、仏教の影響が静かに流れているのです。

だからこそ、私は何度でも伝えていきたい。
仏教は、信じる・信じないの問題ではなく、
「あなたがどう生きたいか」を静かに照らしてくれる道しるべなのだと。

人は悩むものです。
でも、悩めるということは、心が動いているということ。
その動きに寄り添い、そっと背中を押してくれるのが、仏さまの教えなのです。

今日も最後まで聴いてくださり、ありがとうございました。
仏さまの慈しみが、あなたの一日にそっと寄り添いますように。

Hoo〜〜 Waa!

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